砥部焼専門店/砥部焼の浜陶 Blog
2025/11/25 18:26

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◎ 砥部焼の主な特徴
■砥部焼を一言で表すと「ぽってりとした厚みのある白磁に、鮮やかな藍色の絵付け」です。
透き通るような白い地肌(白磁)に、「呉須」と呼ばれる藍色の顔料で手書きの模様が描かれています。この白と藍のコントラストが最大の魅力です。
また有田焼や九谷焼のような薄くて繊細な磁器とは異なり、砥部焼は厚手でぽってりとしたフォルムが特徴です。手に持ったときに親しみやすさや温かみを感じさせます。
■圧倒的な実用性(耐久性)
「夫婦喧嘩で投げても割れない」
これは砥部焼の頑丈さを表す有名な例え話です。非常に硬く焼成されているため、ヒビや欠けが入りにくく、熱にも強いです。高級品として飾るよりも、毎日の食卓でガシガシ使うことに適しています。保温性が高いため、うどん鉢やコーヒーカップとしても重宝されます。
■デザインの傾向
現在でも機械化に頼らず、職人が一つひとつ手書きで絵付けを行う窯元が多いです。
代表的な文様
唐草: 砥部焼の代名詞とも言える、つる草が絡み合うデザイン。
太陽: 力強い筆致で描かれた太陽。
なずな: シンプルで愛らしい植物の模様。
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◎砥部焼の歴史
砥部焼の歴史は、「資源の再利用」から始まったという興味深い背景があります。
■創業期(江戸時代中期)
砥部という土地は、もともと「伊予砥(いよと)」と呼ばれる砥石の産地として有名でした。
1775年頃: 砥石を切り出す際に出る大量の石屑が産業廃棄物となっていました。これを有効活用できないかと、大洲藩の藩主が命じ、杉野丈助(すぎのじょうすけ)らが磁器作りに挑戦しました。多くの失敗を経て、ようやく白磁の焼成に成功しました。これが砥部焼の始まりです。
■発展期(明治〜大正)
明治時代に入ると、中国や東南アジアへ向けた輸出用食器(「伊予ボウル」と呼ばれた)として生産が拡大しました。
しかし、大量生産による品質の低下や不況により、一時衰退の危機に瀕します。
■民藝運動と再評価(昭和)
昭和に入り、柳宗悦(やなぎむねよし)やバーナード・リーチら「民藝運動」のリーダーたちが砥部を訪れました。彼らは、砥部焼の手仕事の温かみや実用的な美しさを高く評価しました。
彼らの助言を受け、現代に通じるモダンで力強いデザインが確立されました。これにより「安価な食器」から「工芸的価値のある日常食器」へと地位を確立し、1976年 国の「伝統的工芸品」に指定されました。
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◎現代の砥部焼
現在、砥部町には約100軒ほどの窯元があり、伝統を守りつつ新しい挑戦を続けています。
■梅山窯(ばいざんがま):
砥部焼最大の窯元。伝統的な唐草模様など、砥部焼らしいスタンダードな作品を多く生み出しています。
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◎なぜ砥部焼は愛されるのか
とにかく丈夫。食洗機やレンジに対応できるものも多く、現代の生活様式に合う。デザイン飽きのこない白と藍のコントラスト。和食だけでなく洋食や中華にも馴染む。全て手作業でありながら、他の磁器産地に比べて比較的リーズナブル。砥部焼は、「飾り物ではなく、生活の道具」としての誇りを持った焼き物です。
